愚者のつぶやき その3
「映画のようなゲーム ゲームのような映画」


・映画のようなゲーム
グラフィック重視、特にムービーの多いゲームは
一昔前だったら「映画のようなゲーム」等と揶揄されていましたが、それは違います。
本当の意味での「映画のようなゲーム」というものは決して悪い意味ではないからです。

「ワンダと巨像」というゲームがその「映画のようなゲーム」で、
これは主人公ワンダが巨大な石像(と言っても空を飛んだり水の中を自在に泳いだりとバラエティは多彩)
と戦うアクションゲームなんですが、その巨像との戦闘シーンにアクション映画のような迫力がありました。

特に印象深いのは「砂の中を自在に泳ぐ蛇のような巨像」との戦いで、コイツを倒すには
「愛馬アグロに乗って後ろから追いかけてくる巨像から逃げつつ、ソイツの目を矢で射抜く」
必要があったんですが、その時のプレイ画面が(あくまでムービーでも何でもないただのゲーム画面が)
私には映画の1シーンのような迫力のあるものに見えました。

つまり「映画のようなゲーム」というのは簡単に言うと
「プレーヤーが自由自在に操作でき、なおかつその映像に映画の1シーンようなカッコよさがある」

ゲームであり、決して悪い意味ではない、むしろすばらしいことだと思います。



・ゲームのような映画
一方、一般的によく使われる悪い意味での「映画のようなゲーム」
つまりムービーを多用するゲームについてはもうゲームでは無いと言っていいでしょう。

この手のゲームのムービーシーンは大抵の場合スキップできないようになっており、
「プレーヤーはただただソレを見ることしか出来ない」ようになっています。
これは「プレイヤーがゲームに介入することを拒否している」事と同じで、ただ見ることしか出来ない映画と全く変わりません。

だからムービーパートは「ゲームではない」わけで、ソレを売りにしているゲームなんか
ゲームであることを自分から拒否しちゃってるのと同じだといって良いでしょう。
ですからあれは「映画のようなゲーム」ではなく「ゲームという名で売られている映画」と言った方が正しいでしょう。





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