愚者のつぶやき その17
現実と断絶されている創作物、されてない創作物



・初めに

今回の愚者のつぶやきは
梅枝庵:実写映画化やスピンオフなどの派生作品についての私見
というブログの前半部分と大体同じ内容です。



・「所詮絵や文字でしょ?」=「所詮唯の演技だろ?」

梅枝庵では「文字や絵に全く感情移入できない人は数多くいて、
その人は生身の人間の口から発せられた言葉じゃないと信用しない」

という記述がありますがこれはおそらく事実でしょう。
なぜなら私は逆の人間だからです。

ドラマが好きな人には大変申し訳ないのですが
私はTVゲームや小説は楽に触れたり読めたりするのですが
TVドラマの登場人物は全員「中にいる人が丸見えの着ぐるみ」にしか見えません。


どこまでいっても俳優という役者が仕事で演技しているだけであって、
例えば命を懸けた死闘であろうとも舞台裏では
しっかりと安全が確保された上で撮影が行われている事が分かっているため
「結局全部演技なんだろ?」と冷めた目で見ています。

話の中で「僕には帰る場所なんてもうない」と言ったところで
でもお前撮影が終わったら帰る家や一緒に食事する家族もいるんだろ?
と思ってしまいます。

一方TVゲームや小説の登場人物はお話自体は嘘だけど
彼らは金もらって演技しているわけではなく
本当に命がけの冒険をしている
ため、リアルだなと思えるのです。



・現実と断絶されているか、いないか

この違いはおそらく「現実と作品との間に断絶があるか無いか」の違いでしょう。
私にとってはこの世=実際に我々が生きている現実世界とは断絶されている事が重要
それがなされているTVゲームや小説は楽しむことが出来ます。

一方TVドラマは「現実と断絶されてない創作物」です。
登場人物も実在し、舞台も現実世界にある場所で現実と地続きです。
「だからこそ」嘘くさく見えるし、作り物に見えてしまいます。


映画も洋画だったら人物は日本人離れしているし、日本の日常からは離れた場所にあるので
何とか受け入れられるギリギリのラインだと思います。
同様の理由で時代劇ならまだ見れるかもしれませんが
現代が舞台の邦画を最後まで見れる自信はありません。

私のように「現実と断絶されている事こそが重要だ」という人もいれば
「現実と陸続きになっている事こそが重要だ」という人も大勢いるでしょう。
(それ以外にもTVドラマは「ながら見」が出来るのにゲームや小説は出来ない分
物語への没入度が高いというのもあるでしょうが)



似たような例に映画の売り文句の一つに「感動の実話」というものがあります。
これも「実際に起きた事」でないとリアリティが感じられないという層に見てもらうには必要な措置なのです。
映画以外では「芸能人のスキャンダル」が当てはまるでしょう。
これも「実際にいる人」が「実際に起こした事件」でないと楽しめない人向けの娯楽なのです。



・なぜゲームだけ悪者になるのか
TVゲームやアニメで人が死ぬシーンを描くのを残酷だと言う一方で
刑事ドラマで人が死んだりニュースでテロリストが人質に銃やナイフを向けている映像を
残酷に思わない
という矛盾もこれで説明できます。
TVゲームやアニメでキャラが死ぬこととドラマで役者が死ぬことは全く別の事なのです。

ゲームの悪影響を説く方はドラマや映画、テレビ番組の悪影響には無関心というか
関心を持つことが出来ない、関心を持つ機能が麻痺している、あるいは
はっきりと境界線を引いて分けているです。

おそらくドラマだと「嘘だ」と完璧に分かっているのに対して
ゲームは嘘であるという事を認識することが出来ないのだと思います。
ゲームの影響を受けてしまうのでは。と思いながらもドラマの悪影響を受けてしまうのでは。とは
露一つも思わないのは矛盾しているとしか言いようがありませんが
おそらく今でも親や祖父母の世代ではわりと本気で考えているのでしょう。



・まとめ
ゲームもアニメもTVドラマも同じ創作物ではあるのですが明確な違いがあるのです。
なぜアニメなんかに、なぜドラマごときに、と思う前に一度立ち止まって
この話を思い返していただければなと思います。

なお個人的にはこれに関してはどちらが良い悪いとかいう問題ではなく
お互いを理解し、尊重しつつもある種「宗教の違い」と割り切って
何とか共存出来ることが理想だと思っております。

私は俳優という仕事は素晴らしいとは思っておりそれをけなすことは一切いたしません。
ステーキの美味しさは理解できるが私はベジタリアンなので遠慮します。という感じです。



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